あけましておめでとうございます。本年も西性寺をどうぞよろしくお願いします。
さて、皆さまはどんなお正月を過ごされましたか?一年の締めくくりである大晦日にお寺へお参りし、除夜の鐘を撞き、お正月は神社へお参りして神様にお願いごとをされた方も多いでしょう。
そんな中、浄土真宗の各寺院でも「修正会(しゅしょうえ)」「元旦会(がんたんえ)」といった形で法要が行われています。(西性寺では毎年、お寺に住むものだけでお勤めしています。)
とはいえ、浄土真宗では法要を通してお正月にお願いごとをしているわけではありません。では、どうしてそうした行事を行うのでしょうか?
お正月にお念仏をするということ
浄土真宗の中興の祖である蓮如上人は、勧修寺村(かじゅうじむら・現在の京都市山科区勧修寺東北出町)に住まわれていた道徳(どうとく)さんと呼ばれる門弟に、「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。」という言葉をかけられました。これは、お正月だからといってお念仏を控えることはありません。お正月も変わらずお念仏をさせていただきましょう。という意味です。その御心は、世間の価値観に惑わされることなく、私たちは変わらずお念仏を拠りどころといたしましょう、ということです。
世間に目を向けてみると「お正月は祝わないといけない」、「お正月は平穏であるべきだ」という価値観が一般的ではないかと思います。ところが、そうした価値観は一瞬で崩れ去ることを、昨年のお正月に教えていただいたのではないでしょうか。
私たちがいま、目にしている全てのものは変化を続け、いずれは崩れゆく虚仮の姿だと、仏教では教えていただいています。ところが、そんな虚仮の姿に執着し、苦しみを繰り返しているのが私たちではないでしょうか?
そんな中で、変わらないものが一つあります。「南無阿弥陀仏」のお念仏です。どれだけ時代が変わろうとも、どれだけ私たちが苦しみの中にいようとも、阿弥陀さまは「あなたを必ず救う」と願われ、南無阿弥陀仏の6文字に込めて私たちに届けてくださっています。そして、それはたとえ私たちがお念仏から背を向けようとも絶えることがありません。だからこそ、私たちは阿弥陀さまのみ教えを拠りどころとさせていただくことができます。
お正月にお念仏をするということは、今年も引き続き私の姿を問われ続けるということ、そして確かな救いにあずかるということなのです。
今年もぜひお念仏の道を歩ませていただきましょう。
トップ写真について
今回のトップ写真は、兵庫県西宮市にある「山陽新幹線記念公園」というところで撮影した初日の出です。西宮はもちろん、うっすらと尼崎や大阪の街並みも見通せる、大変見晴らしの良い公園です。海の上や空の上から眺める初日の出はとても美しいですが、慣れ親しんだ街並みを眺めながら新年の暁を眺めるのも非常に味わい深いものがあります。