こんにちは。西性寺副住職の天﨑仁紹です。この度も西性寺公式ホームページをご覧くださり、ありがとうございます。
さて、今年は年初から能登半島地震を始め、全国各地で大きな災害が相次いで発生しました。そのような中、今日も多くの方が被災地に赴き、日夜ボランティア活動に励んでおられます。
他者のために自らの時間や労力を差し出す姿を見て、私もせめて身近なことで何かできないかと、最近はときどき阪急塚口駅前に赴き、ゴミ拾いのボランティア活動を行っています。ゴミ袋とトングを持ち、駅前やその周辺を歩いてポイ捨てされているタバコや空き缶を拾い集めるのが主な活動です。
今日ではすっかり馴染み深いものとなったボランティア活動。仏様のお心を考えるうえでもとても大切なものです。仏教には「自利利他(じりりた)」という言葉があります。これは、「自らの悟りのために修行し努力すること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)」 という意味です。そして、自利と利他が成り立つことで円満(えんまん・自らにとっても、他者にとっても利となる状態)になるとされています。
この世において、一番最初に自利と利他の実践をされたのはどなたでしょうか?それは他でもなく、約2500年前に仏教を開かれたお釈迦様です。お釈迦様は、世俗的な豊かさに満たされた王城を離れ、六年間の苦行を経て菩提樹の下で瞑想に入り、やがておさとりを開かれます。その後、自らのおさとりを世に弘めるか悩まれた末、ついに40年間にわたる布教の旅へと出発されたのでした。この布教活動こそが、お釈迦様における自利と利他の行いなのです。
自利と利他を実践することでこの世が円満になるのならば、ぜひとも実践したいところですが、とくに利他を実践するのは、なかなか難しいことでもあります。それは、ゴミ拾いのボランティアでも感じるところがあります。最近、阪急塚口駅前は再開発が進んで歩道がキレイになりました。その恩恵か、周辺にはあまりゴミが落ちていない状態が続いています。もちろん、それは良いことであるはずなのですが、自分の出番が奪われたようで悔しい感覚に陥ってしまいます。
一方で、私がゴミ拾いをしていて、仮に横から通りがかった人が目の前でタバコをポイ捨てをしたら私はどう感じるでしょうか?活動の趣旨からすれば、格好の出番であるはずなのですが、おそらく喜ぶことはなく、怒りの気持ちさえ湧いてくると思います。
つくづく、他の人に尽くすという意味での利他は非常に難しいことなのだと感じさせられます。むしろ、ボランティアという利他的な活動を通して、本来の意味とはかけ離れた「自利」(自らの目先の利益を追い求めてしまっている自己中心的な姿)を仏さまから照らされたご縁をいただきました。