こんにちは。西性寺副住職の天崎仁紹です。
先日9月3日、兵庫県神戸市にある本願寺神戸別院にて行われたイベント「僧侶と語る夜」にスタッフとして参加しました。
「僧侶と語る夜」とは?
この「僧侶と語る夜」イベントは、今年から神戸別院でも始まった活動で、以前は京都の西本願寺や東京の築地本願寺で行われていました。
今回、それまで京都や東京で活動されていた方が兵庫のお寺にいらっしゃるというご縁もあり、神戸で開催する格好に。
家でもない、学校や職場でもない、そんな「第三の空間」をめざして企画された本イベントでは、日々の悩みや疑問を僧侶と一緒に語り合うことができる場を作りました。
イベントの流れは主に
(1)あいさつ
(2)座談会
(3)休憩
(4)僧侶による話
(5)あいさつ
の5つで、(2)の座談会がメインです。
僧侶側が何かをお伝えする、教えることによって参加者との立場の差が生まれないように、座談会の時は衣を脱いで、参加者と同じような服装で場に臨みます。
座談会では、日常会話のことや浄土真宗の教えのことを皆さまとお話ししました。雑談をする場面もあれば、時にはあるものごとについて議論をするようなことも。
当然といえば当然ですが、一つのものごとやできごとにおいて、その捉え方は人それぞれです。
そうした価値観の違いは時として争いを生むこともありますが、今回はお互いにリラックスしながら話のやり取りができたのではないかと思います。
参加してみて
個人的な所感に過ぎませんが、このイベントで大切なことは「何かを持ち帰ろうとしない」、むしろ「手放す、差し出す」ことではないかと感じました。
時間や労力、お金(本イベントは無料ですが)を割いてイベントに参加したとき、ついつい目先の損得勘定が働いて何か「良いもの」を持って帰ろうとしてしまうのが私の姿です。このイベントであれば「なにか面白い話があったら持って帰ろう」、「座談会で何か良いことを言って、自分の株を上げよう」といったことでしょうか?
ですが、そうした感情で場に臨んでしまうと、思い通りにならなくて辛い気持ちになることもしばしば。仮に思い通りになって欲望が満たされても、また次の欲望と対峙していくことになります。
そうではなく、「自分のために」という気持ちを少しだけ脇に置いて、参加者もスタッフも互いに何かを差し出し合うことが、この場において大事になるのではないかと思った次第です。(もちろん、それは自身の悩みを吐き出すのを我慢するという意味ではありません。互いに悩みを出し合い、聞き合う、といったニュアンスでお受け取りいただければ幸いです)
もしかすると、リラックスできる秘訣はそこにあるのかもしれません。
次回は11月に行います
そんな「僧侶と語る夜」は11月に第2回目を実施予定です。詳細が決まりましたら、こちらでも告知させていただきます。もしご興味がお有りの方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加ください。
※「僧侶と語る夜」についてはこちらでも情報を発信しています。(外部サイトに飛びます)