尼崎にも春がやってまいりました。そのことを、市内各所の桜が華やかに教えてくれます。
尼崎市内北部、西性寺から車で約15分のところにあるショッピングセンター「つかしん」でも桜が満開となり、行き交う買い物客が思い思いに眺めたり、写真を撮ったりする光景が拡がっていました。
さて、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は9歳のときに比叡山延暦寺に登り、お得度(僧侶になられること)をされました。その式を受ける際、
「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
という歌を詠まれています。これは、「もしかすると、この桜は夜の嵐に吹かれて明日の朝には散ってしまうかもしれない。私たちの命も同じであり、今日は生きられても明日は生きられないかもしれない……」という意味が込められています。
得度式を始める際、すでに夜を迎えていたので延暦寺の僧侶、天台座主である慈円僧正は翌朝に行うことを勧められました。しかし、親鸞聖人は明日まで待てないという意思をこの歌に込めて伝えられたのです。我が生命を桜にたとえた美しい歌は慈円僧正の心を動かし、そのまま得度式が行われたと言われています。
桜が咲いている期間は長くても2週間ほどと言われています。また、途中で雨が降ったり風が吹いたりして散ることもあるでしょう。親鸞聖人が詠まれた通り、私たちの命は桜のように短く、そしてはかないものなのです。
そして、この光景自体もはかないものと言えます。近頃のニュースを見ていると、戦火に包まれる国々の生々しい様子と、穏やかに迎える日本の春の様子が同時に報道されています。その対比にどこか複雑な思いを抱いてしまうのは私だけでしょうか。
平和に桜を眺められるということ、当たり前のように春が訪れ、当たり前のようにこの光景を味わえるということは、奇跡の上に成り立った有り難いことなのかもしれません。
穏やかではない世界情勢の中で迎えた、穏やかな日本の春。
いまを生かされていることに感謝するご縁としたいものです。