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先日、ニュースキャスターとして長年務められた久米宏さんが81歳の生涯を閉じられました。久米宏さんといえば、2004年まで夜のニュース番組「ニュースステーション」ではないでしょうか。久米さんの降板が決まり、ニュースの最終回を迎えた際、テレビの生放送でありながら、ビールを飲まれていた光景が非常に印象深く残ります。

しかし、注目すべきはビールを飲む前に久米さんが仰っていた挨拶の言葉ではないでしょうか。当時の放送のアーカイブがありましたので、そこから文字起こしをしてみました。

「さて、この番組に関係したスタッフは何人いるか分かりません。歴代のプロデューサー、そしてディレクターたちが何代入れ替わったか、分かりません。美術さんとか大道具さんとか照明さんとか音声さんとかカメラさんとか。飲み物とか食べ物を作ってくれる人とかメイクの人とかスタイリストの方。

それから広い意味で言うと、さっき莫大な資金を提供してくださったスポンサーと申し上げましたが、提供スポンサーの社員の方というのは、その方々たちが働いて利潤を生み出して。その利潤が宣伝費に回って。それでスポンサーになってくださったわけですから。広い意味で言うと、スポンサーの社員の方もスタッフだっていう考え方ができるんです。そうなるとですね何万人という従業員を抱えた大企業が何社もスポンサーについてくださったので、まあスタッフというか、この番組に関係した方たちの数ってのは100や100のオーダーじゃ、とても測れません。万、十万、下手すると100万。もしかしたら、スポンサーの製品とかサービスを買ってくださった方もスタッフだって考え方さえできるんですから。そうなると、何千万という単位になるかも知れません。本当にありがとうございました。」

このような言葉を通して、何気なく見ているテレビ番組も、多くの方々によって作り上がっていることに気付かされます。そして、1つのものも多くの存在によって成り立っていると捉えるのは、仏教の縁起思想を連想させるものでしょう。

無数の因(原因)が私を作り上げているということを、お茶の間に示した言葉でした。加えて、久米さんはこのように続けておられます。

「見てくださった方にはもちろんなんですが、大勢の方が見てくださったおかげだと思うんですが、想像できないから厳しい批判、激しい抗議を受けました。もちろんこちらに非があるのもたくさんあったんですが、こちらは理由が分からない、理由なき批判としか思えないような批判もたくさんありましたが、今にして思えば、そういう厳しい批判をしてくださる方が大勢いらっしゃったからこそ、こんなに長くできたんだということが、本当に最近よく分かっています。」

ここに、「縁起」という言葉を表面的に捉えさせない要素が含まれていると感じるのは私だけでしょうか。

「縁起が良い」という言葉があるように、縁起は世の中において「良いもの」か「悪いもの」として捉えられているのかもしれません。そして、その捉えかたで縁起を語るならば、当然良いものを求めていくのでしょう。

しかし、仏教における縁起は、あくまでも因縁によって私たちが存在するに過ぎないのであって、それらがなければ「私」と言われる確かな存在はないと捉えるのです。つまり、縁起には良いも悪いもないということです。

まもなく節分がやってきます。節分では「鬼は外」、「福は内」と豆まきをする光景が思い浮かびますが、仏教の思想から見れば、鬼(自分の都合の悪いもの)を外に追いやり、福(自分の都合の良いもの)を取り込もうとする自己中心的な姿とも言えます。私を成り立たせている無数の縁から悪いものだけを遠ざけてしまっては、私の存在さえも否定することになりかねないのです。

その意味で、「批判があったからこそ番組を長く続けられた」という言葉には、非常に重みがあります。同時に、自分自身にとって都合の悪いもの、「縁起」の悪いものに対して蓋をできる現代社会に対して、問いを投げかけるものと言えるのかもしれません。

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