「当たり前」は「有難い」こと?

今年も残すところあと一ヶ月あまりとなりました。兎にも角にも、今年は新型コロナウイルスの対応に追われた一年だったのではないでしょうか。しかし、大変な状況ではあるものの、こうして年の瀬を迎えられることに感謝しなければならないとも思います。
さて、「感謝」といいますと、春先の「クラップ・フォー・ケアラーズ」運動が思い出されます。これは、直訳しますと「医療従事者らへの拍手を」という意味です。今年の5月頃より、イギリスで始まったこの運動は、ランドマークを青い光で灯す運動とともに、日本でも各地で行われました。
この運動に対して、賛否は分かれたことでしょう。しかし、少なくとも発案者には、医療従事者への感謝の念があったのではないでしょうか。
専門的な知識や技能を有する医療従事者に対して、具体的な支援を行う方法はどうしても限られてしまいます。しかしそれでも、どうにかして彼らへ感謝の気持ちを伝えたい。そういう想いがあったはずです。
「感謝」は「ありがとう」とも言いかえられます。この「ありがとう」は漢字で書きますと、「有難う」ですね。つまり、有ることが難しいという意味なのです。では、「有難う」の対義語はなんでしょうか?
私は「当たり前」と教わりました。言葉で書くとこの2つの対比がわかりやすいですが、「当たり前」であったことを自覚するのは、大抵、その「当たり前」が失われたときではないでしょうか。あらゆるものが変わり続ける世の中で、「当たり前」の状態こそが最もありがたいことかもしれません。

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、阿弥陀さまへの感謝をとても大切にされたお方でした。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし

親鸞聖人が遺されたこのおうたでは、生きとし生けるものすべてをお救いくださる阿弥陀さまのお働き、そして、そのみ教えを伝えてくださった方々のご恩は、感謝してもしつくせないほど「有難い」ものなのですよと教えてくださっています。
今日、こうして私たちがお念仏を頂いているのは、私たちのご先祖さま、そして阿弥陀さまのご縁があってこそです。その確率を数字で表すと、多分この紙に書ききれないほど小さなものでしょう。
あらためて「ありがとう」というのはどういうことなのか?そして、阿弥陀さまのご縁を頂いた私たちが行うべき、「感謝」とは何か?
コロナ禍の年の瀬に、ぜひお考えになってはいかがでしょうか。