正義のためなら人間はどこまでも残酷になれるんだ(仮面ライダー オーズより)

【この記事は、西性寺新報8月号にも掲載しております】
例年通りの猛暑の中、しかし例年通りではない社会状況の中、お盆の季節がやってまいりました。

ご周知の通り、今年の2月頃から感染が拡大した新型コロナウイルスによって、社会は大混乱を迎えています。感染力が強いこのウイルスは、人と人が会うことを否定しました。
戦争でもない、自然災害でもない新たな災禍に対して、これまで積み上げてきた我々の知恵はいまだ答えを示せていません。人と人が実際に会わなくても繋がれる、インターネットを始めとした情報社会は、この災禍を乗り越える手段として期待されましたが、皮肉にも災禍を大きくしたのではないでしょうか。
「自粛警察」や「マスク警察」といった言葉が連日テレビを賑わせています。これは、店舗の営業や外出をしている者に対して強く咎めたり、マスクを装着していない人を糾弾する人を指した俗語です。
「警察」という単語が含まれていますが、この言葉に良いニュアンスは含まれていません。むしろ、コロナ渦における人々の対立を象徴づけるものです。

少しでも感染の拡大を食い止めようと、極端な形で世直しに取り組む人。一方で、少しでも日常生活を維持しようと、極端な形で彼らを晒し者にする人。いずれにせよ言えることは、正しいと思う考え(=正義)は、時として人を残酷にさせるということです。
さて、私たちはこの災禍をいかにして乗り越えるべきでしょうか?
仏教の教えから提案できることは、改めて仏法に耳を傾け、我が身をかえりみるということです。
かえりみると言っても、単に日々の行いを反省するだけではなく、愚かな自分自身そのものを知ろうとすることです。しかし、自分自身を知るには鏡が必要ですね。その鏡こそが阿弥陀如来なのです。
我が身の愚かさを、我々同士でも照らし合うことは出来ます。しかしそれでは否定や摩擦を生むことが改めて浮き彫りとなりました。
阿弥陀如来は、私たちを否定せずそのまま受け入れてくださいます。だからこそ、私たちは摩擦を恐れず素直に自己の愚かさと向き合うことが出来るのです。
新型コロナウイルスと共に過ごす初めてのお盆。渦中の今こそ、ご先祖様へのお偲びをご縁として、改めて仏法に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

令和2年8月
西性寺衆徒 天崎 仁紹